既視感
南アフリカに降り立った瞬間
「ああ!帰ってきた!久しぶり!」
そんな不思議な感覚に陥りました。
・
いろんな国には旅してきたけれど
そんな感覚初めて。
小さな頃から生命力の強い植物が好きでした。
儚い花も木ももちろん好きですが
タフに生きる植物に
なんだかとても惹かれてしまう
自分自身がとても傷つきやすく
むやみに弱かったから
憧れるんでしょうね。
植物も人も、
タフに生きるものに。
・
旅をすると
必ずその町で気になっていた花屋や植物屋に
いきます。
最近は便利な世の中で
インターネットである程度の情報は
得られてしまう。
便利さはそれとして必要なんですが
過ぎたるはなんとやら。
文明の利器に頼りすぎると
行ったとこもないくせに
見てきたかのようになってしまう
知っているかのようになってしまう
それで旅なんて行かなくていいよ
ネットで大抵のことはわかる
そんな風に言うひともいる
それってどうなんでしょう?
・
「百聞は一見に如かず」
全ては経験、これに尽きます。
絶対に。
南アフリカはまさに
既視感を感じる旅でした。
既視感とは、
初めて訪れる場所なのに、
懐かしい気持ちがする心理現象のことを
言います。
私の前世は植物だったのか
はたまたサファリの動物だったのか
道端のじゃりだったのか・・・
それはわかりませんが
不思議に植物の気持ちがわかることも
花と話ができることも
もしかしたら
そんなルーツがあるのかもしれないなんて
考えながらの
旅は最高にエキサイティングでした。
・
人はどこに向かうのか
それは終わりが来るその瞬間にも
きっとわからないんだろうなと
そう思います。
この目で見れること
この心で感じ取れること
まだまだ見てない世界の多さに
焦りと期待を膨らませつつ
今、新世界に突入し
自由に世界に飛び回ることが
できなくなってみて
その価値がいかに偉大で
稀有な体験かを
思い知りなさいと
神様に言われているような気がして
ならないのです。
・
人生は思うままにはいきません。
どうしても欲しくても
手にできないものがある
それ故に与えられたもの
与えられた世界もある
その意味に
抗うのではなく
その中で
どう在るべきか
どう在りたいか
それを模索し続けることが
私の生きる道なのかなと
そう感じる今日この頃です。
この店を始めたことが
誰かの生きる日々の
ほんの1頁に
必要として加えられるなら
最大限できることを成し遂げたい
私がのびのびと育てられ
歳の割にしがらみなく
自由に空想できるのだとしたら
それを生かさない手はない
ここでできることって
もっとあるのかもしれないなと
最近そんなことばかり
考えています。
別にこの場所でなくてもいいんです。
南アフリカだって、
どこだって
その場所に集う人を面白おかしく
元気にしたい
私が沢山の人や
植物たちにそうされているように。
さて、何からしようかな。
写真:奥村 昇子
この記事へのコメントはありません。