丘の上にて待つ
写真は母方の祖父が遺した蘭「素心」
母が引き取ってから今年で30年位になります。
祖父が育てていた頃から考えると
一体どのくらいの長さでこの世界を見てきたのか。
今年も檸檬色の可憐な花を咲かせてくれました。
なんとも清々しい檸檬の様な香りが匂い立ちます。
大好きだった祖父は私が13歳の冬に旅立ちました。
ひとり暮らしだった祖父は
広々とした庭で沢山の蘭や庭木を育て
大きな池には鯉を沢山育てていました。
私たち兄弟は祖父の家に行くと大きな石に登って
鯉に餌をあげるのが楽しみでした。
私が小学1年生の夏に父の転勤で北九州に一家で引っ越し
宮崎に残った祖父は随分寂しがりました。
小学校はほぼ北九州で過ごした私
当時から筆まめだった私は
祖父と文通をしていました。
小学校後半には祖父が病に侵され
病床でのやり取りとなりましたが
呑気な私の文章は相変わらずで
カナブンをマンションの廊下で拾って
部屋に連れ帰り育てている話や
そのカナブンを散歩に連れ出したら
隣のおばちゃんに謝って踏まれて
しまって落ち込んでいる話などを
書き連ねました。
祖父は「あきちゃん、カナブンとはなんですか?」と
弱々しい字で優しく返信をくれ
その祖父と孫の文通の手紙は
いまだに私の宝箱にお守りとして挟んであります。
宮崎に戻って一年足らずで
祖父は静かに家族に見守られて旅立ちました。
深夜に父に揺り起こされて
何も話さない姉や兄
車窓から流れていく真っ黒な景色を
ただ不安に見つめていたことを
昨日のことの様に思い出せます。
とても優しくて植物が大好きだった祖父
今祖父が生きていてくれたら
私の店を見てなんと言ってくれただろう
「あきちゃん、この不思議な植物はなんですか?」と
楽しそうに通ってきただろうなと想像します。
北九州の生活はとても楽しくて
宮崎とは風土も人も違って
刺激的でした。
物凄い傾斜の坂道だらけで
私の住むマンションは
長くて急な坂を登った丘の上にありました。
その坂の麓にはアパートがあって
井上さんというおばあちゃんの持ち物で
井上のおばあちゃんもそこに住んでいました。
私は丘の上におばあちゃんを見つけると
「井上さん!こんにちは!!」と
大声で叫んで挨拶に走っていっていました。
井上のおばあちゃんはいつもお菓子を沢山くださって
とにかく話しかけにいく私を
とても可愛がってくれました。
思えば遠く暮らす祖父に重ねていたのかもしれません。
井上のおばあちゃんはマンションの横に大きな土地を持っていて
そこに菜園や花を沢山育てていました。
夏になるとネットをかぶった様な葱坊主が沢山整列して
私はその頃からネギ科の花が大好きでした。
ある時、母が坂の下から自転車でえっちらほっちらと
帰って来ると、丘の上に井上のおばあちゃんが
抱え切れないくらいの花を抱えていて
「最初に坂の下から登ってきた人に
あげようと思って待ていたのよ」と。
母に摘み立ての花束をプレゼントしてくれたのでした。
今でも母はその光景を思い出しては
「なんてロマンティックで素敵なんだろうと
嬉しかったのよ」と話しながら
その光景にトリップしてしまいます。
祖父の体調が思わしくないこともあり
宮崎に戻るんですと母が挨拶に行くと
ある日井上のおばあちゃんがマンションのドアの前に
ジュースとお菓子を抱えてきてくれました。
母がどうやってきたんですか?と尋ねると
初めてエレベーターに1人乗って上がってきたと。
もう年老いたエレベーターにも乗ったことのない方が
私におやつを最後に渡したくて
あんな訳のわからない電気の箱に見様見真似で乗って
届けられたジュース
母は「それがどんなことかわかる?」と私に問いました。
いつもあんなに元気に挨拶してくれる子は他にはいなかった
とても嬉しかったんだと母に話してくださったんだそうです。
宮崎に戻り、井上のおばあちゃんとの数回の文通がありました。
けれど中学生になり忙しくなった私は
まめに手紙を書くこともなくなりました。
その後しばらくして
おばあちゃんは亡くなったと風の便りで聞きました。
沢山の人の愛情で植物をいつも身近に感じ
育てられた感性
祖父も井上のおばあちゃんにも
今の姿が見せたかったなと最近ことに思い出します。
いろんな方に愛された記憶は
きっとずっと記憶に刻まれて
人を守ってくれるんだと
そう思います。
”素心”
ふだんの考え。本心。
いつわりのない心。かざらない心。
出典:weblio辞書
この蘭の様に
そんな風に在りたいです。
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