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ある日の定休日
写真家のflasscoまゆこさん
フォトセッションをお願いしました。

このタイミングで、たまたま新月
偶然にもいろんなはじまりも重なって
マンツーマンでのセッション

テーマは「視線」

まずは自分の思う視線についての考察と
何気ない本音を吐露しながら
少しずつ自分自身と対峙していく時間

まず、何故これを受けてみようかと思ったか。

それは写真家としての彼女自身の
写真の持つ力もさることながら
文章にも惹き込まれるものがあり
結局人なんだよね・・と
彼女の魅力から
そう感じていたこと。

どんな事にも繋がりますが
どんなにいい機材や道具を持ち合わせても
それを使いこなすその人自身の器や
豊かな感受性がなければ
機材のポテンシャルを引き出すことなんて
できるはずありません。

何を感じ、
何を表現し、
何を伝えられるか

それはまざまざとその人が浮き彫りに
なってくる。

time is money “時間はお金”

私は事業を始めるようになって
このことをより切実に感じるように
なりました。

自分の時間はもちろん
人様の時間は限りある
貴重な財産であって
何かを得るためにはそれ相当の
対価を支払うのが当然。

それが目に見える、
見えないは全く関係なく
その感覚で物事見ると
日々必要なもの、
それほどでもないものが
はっきり見えてきます。

お金が全てとかいう
浅い意味ではありません。
人の時間を頂くことは
どういうことかを
きちんと考えて行動すること
これはすごく大切です。

私は対価を払って
正当なる自分のための時間として
今の自分の心境や
胸の内で眠る何かを
外に引っ張り出して
太陽の光にかざして見たい衝動に
駆られていました。

それには信頼できる
私の思考を理解しうるであろう
表現者である必要がありました。

それが今回のまゆこさん

トークから撮影まで4時間強の
互いの濃密な告白

視線と聞いて何を考察するか?

どこか似ている二人の
社会の中ではアンバランスなようで
自分の中でのバランスを保つ術

誰かとの関係性の妙

求めるものがあるのか
能動的に歩く先に
見えるものを
ただひたすらに面白がりながら
そして渇望しているのか

私も彼女もファイターで在りたい

せっせと戦いに出向く
自分というものを私は
俯瞰して見ていて
面白いといい

彼女は自らを見るときに
傍観者で在りたいという
無でただ自身を眺める
そんな感覚でいたいという

一般的な・・・という言葉に
違和感を互いに感じるという話になった

一般的とか普通はって
誰目線?
結局はみんな自分の目線が普通だと
そう思っている。

私はその基準自体
少数派に属することは
もう気づいているし
誰かとの関係性だって
スタンダードなんてないと
思う。

その人その人と
手探りながら
擦れ合いながら
たまに手を繋いだり
ケラケラ笑いあったり
握手したり
げんこつもしたり
そんなんでいい

枠にとらわれることほど
窮屈なこともなくて
しかもそれがすごく苦手

他人がどう思うかなんて
なんの幸せにも
価値にも繋がらない

自分がどう在りたいか
どう進みたいか
七変化して
進化し続ける自分自身を
ずっと面白がっていたい

改めてそれが許されたような気がした
青島の夕暮れ
生温い海の記憶

話しながらの帰り道
逆境の夕陽と一緒に撮ってもらった写真

どんな顔をしていたのかな

きっと遊び疲れた子供みたいに満ち足りて
飾らずありのままをさらけ出せる
タフな強さを身につけた
少し自信を纏った私だと思う

2020年も折り返し
ほんの少し、自分の棚卸し
いい時間をありがとう

写真:flassco 大島 真由子

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