執着
物事が図らずもうまくいく時
どれだけ熟考して試行錯誤しても空回りしてしまう時
深く考えていなくても直感で判断して動けるときは
いい気の流れ、ご縁が訪れます。
それはきっと何も考えていないようで
日々意識せずに鍛錬できていることのチャンスを
瞬発力で掴める基礎体力ができているからのように
振り返ると思うのです。
うまくいかない時
私の場合過去に囚われていたり、傷つきたくないゆえに
予防線を張ったり無駄なことしてもがいている時。
基本が猪突猛進で能天気なものであまり傷つくのが怖いなどは
感じないのですがたまにどうしても拘ってしまって
そのジレンマに陥ります。
いわゆる執着だと思うのです。
人も物もこともそうなると歪みます。
自分自身の健全な判断や思考、言動を鈍らせる
けれど人間だものって言葉どおり
いつもポジティブに明快で正しくもいられないから面白い
光の影に闇もあるからより光の眩しさを知ることもできる
物事は表裏一体です。
暗い沼の縁に落ちて、光は射すけれど
這い上がる術がどうにも見つからない時
ある時から、私はその状態の自分自身も逃げずに味わうことにしました。
ちょっと変態的なんですが、
苦しい感情
悔しい感情
孤独とか打ちのめされること
自信の欠片も見当たらないとき
なぜその感情がやってきたのか?
どうすれば解消できるのか?
私が納得する落としどころってどこだろう?など。
周りにもいろんな方がいて
口に出さずとも
いろんな状況、環境でもがいている、闘っている
それでも腹に納めて皆逞しく今日を生きている
他人と比べて自分が努力が足りないとか
うまくやれていないとかではなく
どこにつまづいてしまったのかを俯瞰して研究する
そして自分にむやみに厳しすぎるのだと最近気づきました。
流れて行ったものごとはさらさらと見送って昇華してあげる
壊れたものは、ありがとうと感謝して手放して
またゼロから積み上げればいいだけのこと
なくした物は探すことをやめて
また見つけ出せばいいだけのこと
じっくりと自分の内側と対話する
下手したら年単位でかかる時もあって
我ながら生き方が下手くそだなと思います。
その対話を一つ一つ越えるたびに
呼吸が楽になっていく実感を覚えています。
執着とひとことで言ってもそれは様々で
いつしか人の心を蝕んでしまうような気がするのです。
結局自然体でなくなって不自然にしがみつこうとする故の行動
自然体であれた時には大抵執着ってしていない
蝕んでしまったその先に
そこまで真剣に向き合った結果がそれで
それもいい経験だと愛せるまで
逃げずに味わえば
またひとつタフにしなやかに羽根を広げられる
飛べるようになります。
不器用で賢くないゆえに粋にもカッコよくも生きれず
いつもジタバタとしています。
私は頭で考えだすと途端につまらない人間に成り下がる
典型的な直感型タイプ
人間関係もうまくないし、
社会生活も決してスマートではない
唯一、花や植物と接することだけは
全く頭で考えなくていい
店の経営も運営も
感覚と閃き、想いのみでここまできました。
おそらくひどく運がいい
人に恵まれてきた・・
そして心底好きなことに出会えたという幸運
”好きこそものの上手なれ”
それに尽きます。
今も正直な話、店に執着は全くありません。
自分でも不思議なんですが
いつこの場所が止まっても構わないと思っています。
人の評価も水の流れのような物で
変わりゆくものだと思っています。
今日沢山の方に会えたから明日もそうかなんて
誰にもわかりません。
誤解のない様に補足すれば、
適当にやっているとか
趣味の延長線上でのという安易な話ではありません。
ここはたった3年と少しの小さな店ですが
一生懸命お客様や周りの人の温かな支えがあって
少しずつ店としての輪郭を帯びてきた場所。
大好きな人たちが集ってくれる愛すべき場所であり
大切な場所です。
日々余力なく必死にお客様の思いの先にあるオーダーに向き合い
愛情もひたすらに注いでいます。
その上で別に店という形にこだわりもないし
場所も店もなくてもいい
そう当たり前のようにずっと考えています。
どこに行ってもきっと同じように直向きに花たちとやっていくことを
自分自身が1番知っているからだと思います。
執着していないから
店は呼吸を続け、自然体で成長できるのだと思うのです。
私は蚕でその成長を見守る繭のようなもの
それがこの店でありお客様であるのだとそう感じています。
さて今日も1日全力で糸を紡ごう
皆様も心豊かな1日をお過ごしください。
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