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たまに日常で使う「ひょんなこと〜」
ひょんの所以は諸説あるそうです。

その節のひとつが
なんと「宿り木」
宿り木とは他の植物の枝に半寄生する植物です。
枝の上にまん丸な球体の株をつくる可愛らしい姿が有名です。

「やどりぎ」はその別名を「ひょん」と言います。
方言が由来となっているとも、
花の呼び名に由来するとも言われ、
その実態は不明瞭です。
どこからともなくやってきて奇妙な形に育つ姿は、
不思議で意外なものの代表になったのでしょうか。

日々の営みもひょんなことの連続です。

結果として花屋のような植物屋のような
装飾屋のような・・・
よくわからない何でも屋をしてていることも
ひょんなことの繰り返しの今です。

花を受け取る際にいつもお客様が
「ここがあって良かった」
「元気もらえます」
そんな温かな言葉をかけてくださいます。

そんな時胸がいっぱいになって
こちらこそですと伝えることが精一杯です。

けれどふと考えてみると
お互い様なのかなと思うのです。

支えているようで支えられている
支えられているようでその実支えていたりする
意図せずに育まれるものにこそ
人の1番要となる命綱となったりする

それが何かと問われたら
愛なのかなと思うのです。

大袈裟とかではなく
見返りを求めずに
その人が健やかであることを
ただ願う

ただそこに居てくれるだけで
ああ、今日も頑張ろうと
そう感じられる灯台の明かりのようなもの。

そんな灯りが沢山周りに灯っていて
私は迷子になりそうな時、
足下がすくんだ時さえ
進む道を見失わずに済むんだなと
日々感謝するのです。

貴方がそこにいることで
貴方がただ直向きに進むことで
貴方がただ楽しそうに笑うだけで
救われている人
支えられているひとが
必ず何処かにいます。

誰しもそれは間違いなくて
それに気づけるか気づこうとしないか
それだけの違いです。

絶対いない!と思う人がいるなら
それはエゴだと思うのです。

自分の弱さと情けなさと向き合いながら
がっくり落ち込む日も沢山ありますが
それも色々な気づきを与えてくれるから
まあいいかと肩の力を抜いて。

行き過ぎると何事も良くないので
程々に追い込みながら。

いろんな思いを
花に昇華させて
新しい花を拓かせる術を与えてくれた
沢山の出会いや経験に
ただひたすらにありがとうと
叫びたい毎日

人生はひょんなことで続いていく
ご縁も経験も使命感も

花のように
のびのびと健やかに息をしながら
今日も心豊かな1日を。

写真はある日の昼下がり
壁に映し出された植物の虹
いろんな偶然の産物は
宝探しみたいで楽しいですね。

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