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日々は大なり小なり挑戦の連続

それは好むと好まざるに限らず
否応ないタイミングでやってくるし
やるかやらないかの判断ではなく
やるしかない

階段は上がり続けなければ
その先の景色は見えないし
留まればそこで止まる

山道を歩くとき
私は山頂には興味がない
どれだけの標高の山だとか
有名な山だとかはどうでもいい

道中の植物とか風とか匂い空気
語りかけてくる大きな木
それらをまだまだ見たくて足が進む
一度登った山でも季節によって、
心境によって
毎回表情も
感じ方も違う

誰かの評価が欲しいわけではなくて
自分自身の可能性のその先を
見たいと思う

自分自身だけでは決して
こじ開けることのできない
その先を見たい
それには誰かの想いに
真摯に向き合い続けるしかない

一発逆転は私の辞書にはない
そんな実力もない

むしろ一度の失敗で
決定的に失うことはある

信用だったりとか、期待は
相手に伝える、応える努力を怠れば
いとも簡単に無くしてしまえる
リベンジが許されない

いつだって安泰なんてことは世の中に
ないから、必死に日々を紡ぐしかないし
自身に挑戦し続けるしかない

仕事以外にもやるべきことは
山の様に出てくる

そのひとつ、ひとつを
簡単なことからでも
着実にクリアしてやり遂げてみる
スーパーマリオでキノコとか植物とか
キャッチしていく感覚で
亀の歩みでもきっちり

そうすると脳内に余白が少しづつ生まれて
小さな達成感とやらなきゃならないことを
無くしていく作業は心にゆとりをもたらしてくれる

そこから想像力のスペースが生まれてくる

花をデザインするとき
これとこれを合わせようとかは
あまり決め打ちしない

材料をなるべく幅広く普段から揃えて
製作に入る瞬間に集中力をグッと高めて
植物と指先に委ねるのみ
頭でプランニングしても
大抵大したものにはならなくて
どこかで見た様な
つまんないものしかできない
そんなものはバラバラ分解して
単体に戻すのみ
植物に失礼な生かし方なら
しないほうがいい

植物単体の方が美しいのは当たり前で
それらが重なり合っても
面白いハーモニーを奏でて
彼らを生かすことができたなら
束ねる意味があると思う

いつまでも発展途上
生きてる限りきっとそれが当たり前
自然は完璧なる存在なのに

少し前までは
ひたすらに人に逢いたくて
逢いに行って何かを始めようとばかりしていた

それを過ぎて
今はより削ぎ落としたものに
心惹かれる

自分の中の感覚的な濃度が薄まることもしたくない
だからむやみなインプットも最近はしない

じっくりと最小限の逢いたい人に逢う

ゆっくりと感じる

じわりじわりと掌で空気の球体を温めながら
アウトプットしていく

あの薄暗くて鬱蒼とした小さな小屋の中
植物とひたむきに向き合っていたい

ただそれだけに
夢中でいたい

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