生きたいという本能
助産師の友人はとても華奢なのに体はしなやかに鍛えている
助産師は体力勝負!それはなんとなく想像できる
でもそんなもんじゃないんだと教えてくれた
赤ちゃんは産道から出てくる時
ものすごい力で頭を押し出してくるらしい
私の掌に
「これくらいの力だよ」
とグーで押し付けてくれたけど
力を抜くと突き飛ばされそうな、そんな威力だった
それを助産師は体当たりで押さえる
なぜならお母さんの身体が準備整わずに
赤ちゃんの勢いのままに出てきてしまうと
大変なことになるから
赤ちゃんは生きたいのだ
ただいち早く世界を見たい
十月十日、お母さんのお腹の中でまさにその身から育んでもらい
人間として立体となるまで生きたいとただがむしゃらに
外の世界に憧れる
出てきてみたらあんなふにゃふにゃで頼りない愛くるしい姿のくせに
生きる力は逞しく力強い
植物もそうだと思う
葉を落とし元気をなくしても
以外に放置して頑張れと念ずれば
ふと新芽が出てまた葉を広げたりする
以外に手をかけすぎず適度に距離を保つと
自助努力というか治癒力を発揮してくる様に思う
なんでも同じかなと思う
適度な距離感は互いに自立しながら
いい関係性を保てる様に思う
私もそうだったけど人はすぐに関係性に名前をつけたがる
形や役割を求めたがる
でもそれは誰のため?
誰に対してそれを必要とするんだろう
形は色々でいい
その人としかない形もあり
信頼関係もある
世間の枠にハマる必要もなければ
それぞれにその形や存在としての必要性がある
いちいち口にする必要もないし
心の中で判断すればいいことは沢山ある
そして自分の輪郭と覚悟が一致すると
他人の無駄な意見や誹謗中傷だって気にならなくなる
豊かな人とだけ前のめりに関わりたいし
自分の貴重な時間を使いたい
究極生きとし生けるものみな
”生きたい”
どんな風に豊かに生きるかを
模索しながら擦れ合いながら
望む輪郭を見つけ出していくんだろうなと思う
しかも生きるということは
それぞれにタイムリミットがある
生まれた瞬間から時限装置は動き出して
立ち止まったり振り向いていても
それは止まることなく動き続ける
ならばポジティブに物事を受けとる習慣を身につけた方が
楽ではないだろうか?実り多いのではないかと最近気づいた
考え方、受け取り方で世界の色は変わる
これは訓練だと思う
そんなこと言っていても
どうしようもない哀しみも
別れも訪れる
気持ちで勝てない現実は沢山押し寄せる
それは誰でも同じことで
誰かだけいつも順風満帆で
自分だけいつもついてないなんてこと
それだけは決してない。
いつもたおやかに笑いかけてくれる人ほど
豪快に笑い飛ばす人ほど
見えない部分に悲しみを超えた繊細さ故の強さを携えている
痛みを抱えている
後で聞いたらとても大変な状況を経験していたなんてこと
よくある。
なら何が違うのか・・
それはどうしようもないこと以外
小さな幸せ探しや感謝の見つけ方を
自然に鍛えているかの違い
自分の思考で左右できることくらい
楽しく前へ前へと捉えられる人に
運は味方する
これは間違いなくて
”運”というのはよく笑う人のもとへ
好んで近づいてくる
一生懸命に誰かのために生きる人に
運は必死についていく。
人もそうだし言い訳せずに頑張っている人がみんな好きなんだと
そう思う
誰かのことをあーだこーだ言えるほど
私は何一つまともに成し得ていないし
そんな暇あれば本の一冊でも読むか
魅力的な人に会いにいく方がいい
今日の恩恵は昨日までの私の運貯金
今日は明日へのための貯金をするためにある
そう考えるとやるべきことが自ずと見えてくる
もっと全力で集中すべきことに溢れている
そんな風にしていると同じ価値観の人や
ベクトルの人しか周りに居なくなる
生きるとは面白い
他人と関わるということもまた想定できなくて
興味深いものだと思う
やりたいこと
使命が見つかっているって
とても幸運なこと
今日も自分のため、
誰かの笑顔に繋がる1日になる様に全力投球!
みなさま雨の金曜日
心穏やかにお過ごしください。
この記事へのコメントはありません。