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先日気分転換に歩きたくて散歩に行った白鳥山付近の六観音御池
直径440mもある火山性湖沼です。

年末に向けてどの業種も大あらわ。
花屋も例に漏れずてんてこ舞いを踊る時期です。

クリスマスのリースやスワッグが落ち着かない頃から
正月飾り、アレンジメントのオーダー受付、準備

毎年同じ時期なのにセカセカ、ハラハラ・・・
段取りよくできないものかと我ながら
ため息の連続でもあります。

定休日は仕事しようかと悩みつつも
一回リセットして空気を入れ替える方が効率良し!と
えびの高原まで車を走らせました。

がっつりした山に登るには体力も温存したいし
何か怪我をしてはご注文いただいている
沢山のお客様にご迷惑をおかけするため
ハイキングで距離だけは少し多めに歩こうと。
10キロ弱を写真撮りつつのんびり行ったりきたり散策しました。

白鳥山は韓国岳のすぐ隣の山
池巡りコースとしても観光客にも人気です。
サクッと赤松の森を歩いて美しい池がいくつも見渡せるコース

その中でも大きな六観音御池は奥に韓国岳を見上げる雄大なパノラマが
広がります。

太陽の光が水面にぶつかって小さな光の波紋が
瞬く間に広がって光の粒子となる
そんな様が美しくてずっとその場に立ち尽くして
いろんなことを考えていました。

今年は激動の一年でした。

南アフリカに旅し、人生観はさらに自由に拡がり
捉われることや、他人の目を気にする事もなくなりました。

好きなものは好きで
興味ないことには時間を費やさない

”人”、”もの”、”こと”

至ってシンプルに受け取りながら流れるように身を任せるということ
ただ流されるとか全てを受け入れるのとも違っていて
自ら切り拓いていきながらの延長線は
ただ受け入れるということ。

その先に化学反応して新しい何かが生まれたり
繋げたり、繋げてもらったり
貰ったり、渡せたり
苦悩したり、打ちのめされて這いつくばりながらも
そこから学びを得たり

そんな小さな粒子の連続が大きな光の塊に変わるのかなと
そんな風に思うのです。

人は誰かがいてくれるから生きていけます。

本当にひとりぼっちの世界なら
何ひとつ味気なく
なにも生まれず
疑問も課題も生まれない

切磋琢磨できるから
日々は豊かになり、
誰かからもらう影響や温かさで
自分の中に種を撒き
それらを大切に芽吹くかせることができる。

それはすぐそばの存在に限らず
私で例えるならお客様であり、
お取引様であり、友人知人家族
まだ見ぬ誰かでもあり
大きな畝りの中で導かれるように
出会い、時に別れ
自分とは何かを知っていく

5年前に想像していたのとは全く予想だにしない今にいて
人生とは面白くて退屈する暇もないものだと可笑しくなります。

刺激も巻き起こることも激動の日々で
やるべき時にブナの木のようにしっかりと根差し
誰かが風に吹かれていたらそっと木陰を差し出せる強さを持つ

どうしようもない困難や逃げ出したいことが襲ってきた時には
柳のようにしなやかに風の流れに身を預けながらも
折れないようにしなやかに、雪折れしないよう
コントロールする術を身につける

どんなことだって
大きな地球の流れの中ではとても小さな出来事で
一喜一憂もするけれど
その先はワクワクと好奇心だけ携えて
前に横にと進みたいものです。

たまに後ろを見ても
そこには思い出とか鍛錬が今の自分を支えてくれているのだと思えば
心強いと思うのです。

ウイルスだなんだと騒がれたところで
根本はひとりひとりに委ねられた世界
受け身で愚痴を言っても一生/1日
人の不快にならないエチケットやマナーを守りつつ
能動的に生きるか否かはウイルスは究極関係ない

誰かのせいにしてつまらないと嘯くのは簡単ですが
時間もったいないです。

確かに旅にもいけないし制限はあるけれど
だからこそ見落とした何かを見つける時間をもらっているはず

全てのことにはきっと意味があると思っていて
それを財産にする?
ゴミとする?
イライラとかストレスにする?
それは全て心持ちひとつ

豊かな心はきっと新たな出会いを生み出して
まだ見ぬ世界に連れ出してくれます。

それは今日この瞬間からできる魔法

誰にでもかけることができます。

沢山の粒子を集めて
空に投げたらどんな景色がそこに映るだろう

今日も心豊かな1日を。

年末、戦国時代な市場へと出かけてきます!
えいえいおーーー!

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