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日々同じ場所にいても
色々な出会いやご縁があって
思わぬ人に出会ったり
突然昔にタイムスリップするようなことも
あります。

昨日はまさにそんなご縁があって
お電話でご予約いただいた初めてのお客様
オーダー内容を確認して、お名前を聞くと
馴染みのある珍しい苗字
胸に引っかかる感じがありました。

来店された際に
ふとそのことを独り言のように
聞いてみました。

「もしかして〇〇先生のご親戚ですか?」

「はい、義父でした!」

「やっぱり!!」

それは中学生の頃担任をしてくださった
担任の先生。

私が20代前半に52歳の若さで急な
病でお亡くなりになった先生でした。
中学1年の私
これまた落ち着きもなくて
ふらふら授業中教室を歩き回る
友達にちょっかいばかりだす
我ながらどうしてあんなに
お調子者だったのか
いや、今も変わりないか・・・と
反省しつつ。

ふざける度、先生に
げんこつされても
ビンタされても
先生に懐いていて昼休みは職員室に
遊びに行く。

どんな神経だと思いますが
厳しくも愛情深い先生のことが
とても好きでした。

急に亡くなられて
卒業以来再会することもないままに
葬儀に駆けつけた時には
体育教師でこんがり焼けた肌で元気に
声を張り上げて叫ぶ
あのヤクザみたいな
風貌の先生はそこにはいなくて
ただ静かに眠ってらっしゃいました。

それから20年余、まさか自分の店で
先生のご家族に再会できるなんて。

お互いに、ビンタされましたね!なんて
笑い合いながら
先生がそこに現れたかのような
不思議な感覚でした。

店にいて、以前にも母を見て
「セーラのおばちゃん?!」と
声をかけてくれるお客様がいました。

セーラとは子供の頃、北九州からの転校を嫌がり
抵抗する私(本当に手が掛かる・・・)
に両親が家族に迎えてくれた
シベリアンハスキーの赤ちゃん
(どうしてもハスキーが欲しかった)

真っ黒な般若みたいな模様に
海のような真っ青なブルーの瞳
とても美しい狼のような子でした。

やがて姉も兄も県外へ進学
私も高校を卒業し、福岡へ進学
父は単身赴任

そんな中、母と2人になったセーラ
その絆たるや
ぴったりと気持ちの繋がった
最高の相棒だと母は言いました。

そんな二人暮らしの頃に
近所の小さな女の子が
散歩するセーラに
「セーラ!セーラ!」と
付いて回ってきたそうです。

その小さな女の子が
店に現れた美容室をお姉さんと経営する
その女性でした。

20数年前のこと
母の顔をしっかりと覚えていて
セーラの記憶をしっかりと
覚えていてくださった。

母はセーラが家族以外の
誰かの記憶に刻まれていたという事実に
深く感激し、感謝していました。

人も動物も植物も車も
やがてその命を全うし
肉体という名の入れ物は
昇華されていきます。

けれど、それは単なる入れ物であって
魂とか心はずっとここに在ります。
ずっと可愛がっていたライオンラビットの
ビーバスもぽぽも
今だって体温を感じるくらい
ここに居てくれます。

人は忘れゆく生き物だけど
本当に大切な何かは
ずっと記憶に留めていられる

そして忘れないでいてくれる人がいる時
その存在に不意に出会えた時に

「ああ、やっぱりいつもいてくれるんだ」
そう改めてホッと安心できる

ちゃんとここにいるよ
大丈夫だよ

そう伝えてくれている

これからも
沢山の別れを経験するのだろうし
その生温かいなんとも言えない
体温に触れられなくなることは
やはりつらいけど

見えなくてもそこに在るもの
きっと沢山あると思うのです

願わくば
余裕なくて周りに優しさを
差し出せない時
すぐに軌道修正できますように。

いつも完璧で正しくなんていられるわけは
ないけど、むしろ足りないとこだらけ
それでも
大切な人たちに
温かい体温を
届け続けられますように。

私がここに今たどり着いてて
漂着した意味を
しっかりと受け止めて
伸びやかに
日々過ごせますように。


先生、なんとか大人と呼ばれる歳になりました。
ちょうどあの頃の先生の歳でしょうか。
それでも私は相変わらずげんこつされるような
抜け作でお調子者な毎日です。
先生は元気ですか?
またあのズシンと脳に響くげんこつ
されてみたいです。
あの時は沢山の愛情を
ありがとうございました!
これからもマイペースに頑張ります。

1年6組 藤本 亜希子

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