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皆川さんの新刊を読んでいて思い出した。

全く似た様な記憶がある・・・

幼い頃の私は幼稚園から逃走したり
小学校に入っても妙に正義感だけ強く
筋が通らない
納得いかないことがあれば大人であろうと
意見し、大人の力で考えや思考そのものを
押さえつけられそうになるとそこから
逃亡しては尻拭いに回る母に迷惑ばかりかけていた。

子供の頃から優等生タイプで
温厚で優しい母からなんでこんな厄介な
じゃじゃ馬が生まれて育ったのか未だ不可解。
母には幼少期からいまだに想像だにしない
苦労ばかりかけて申し訳ないと思う

ヤンキーとか単に反抗的とかではなくて
違うと感じたことに
これはこういうものだと無理やり納得して
生きることができなかった
その厄介さは今も根底にある

それで矢面に立つことも多々あって
ピンチやが逆境には何度となくぶち当たる

その度に助けてくれる同級生や
周囲の理解ある大人がいてくれた

今も理解ある周りの
こやつは本当に仕方ないなあ・・という
理解と情と手助けの元なんとか生きていられる

小学校の時はある先生に弾劾裁判なるものにかけられて
母は先生に
「子供が意見できない様な場で大人が
裁判みたいなことするなんておかしい!」と
意見してくれた。

他の親は言うこと聞かなければ
叩いてください!と言ったらしいが
母は「決して叩かないでください!」と
果敢に意見してくれた。

いつも何をしでかすかわからない娘に
母は何も言わずとも信じてくれた
何かそうせざる得ない理由があったはずだと。
今でも彼女の芯のぶっとさと肝の座り方には
頭が下がる

父は単身赴任で近くにおらず
母が問題児の面倒を一手に見ていたので
本当に大変だったと思う

裁判の日は私と友人2人の3人がターゲットと
なった。

先生は否応なく責め立てて
問題児だ!とんでもない大人になりますよ!
と母たちに最もらしく言って述べた

そんなピリピリした空気の教室で
男子の友人何人かが手を挙げた

「藤本さんたちはおかしくない
先生がおかしなことをしている」

絶対王政の様な密室の中
教師とクラスの子供たち数十人とその母3名

よく発言できたものだと驚いた

どれだけの勇気を携えて
思いを吐露してくれたのか
一歩間違えれば
自分たちが次なるターゲットにされてしまうのに

救いがあったのは、
当時の校長先生は至極まっとうな方で
子供たちの意見を全面的に信用して
理解して助けてくれた

あの時、声を上げてくれるその友人がいなかったら・・
母はよくその時の話をする
あれはひどく感動したと。

もし発言してくれる彼らがいなければ
信頼してくれる大人がいなければ
私はただの問題児として
そこからも伸び伸びと生きれただろうか

人と違うということが
個性として捉えられるか
問題として異常なことだと
解釈されるかで
物事はいくらでも違うものとして
形を変える。

何が正解でそうでないかでなく
真実はそれぞれの中にあって
その教師には教師の真実があっただろうし
どこに秤が傾くかで
物事は決まることがある

それはとても怖いことで
あの時勇気を出して声を上げて
くれた友人がいなければ
今の私ではなかったかもしれない
”長い物には巻かれろ的”な
変な学びとして残った可能性もある

自分の中にそれでも踏ん張れる
タフな核がなければ
塵の様に吹き飛んでしまうことだってある

どこに行っても
私の厄介さは変わらない

厄介と取られるか
個性的だねと肯定的に捉えられるかで
その後発揮する潜在能力も違うのだと思う

親友はある時私にこう言った

「あなたの個性を潰さずに伸ばし続けたのは
彼女(母)の気の長い涙ぐましい努力あっての
賜物だと。よくぞこんなに個性的に育て上げたものだ
あんなに優しい人がどれだけ大変だったかと想像すると
泣けてくる」・・・と。

どんな子供や・・・と思いますが
実際その通りでした。

どんな局面でも
どちらの方向から物事を解釈するかで
全く違うものになるのなら
肯定的で建設的に判断できる人で
ありたい。

自分のことだけでなく
人の可能性も
素晴らしい個性も
応援できる人でありたいのです。

自分自身が変人扱いされずに
伸び伸びと生きれているのだから
周りにもその種を蒔きたい
蒔ける人でありたいです。

水上の私たち
水面の中にいる私たち
どちらの面もあって
どちらも面白いはず

写真:flassco 大島 真由子

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