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”無明(むみょう)”
仏語
邪見・俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知。
最も根本的な煩悩で、十二因縁の第一、三惑の一とされる。
出典:goo辞書

何も分からないことではなく、
何が悩みかわからないことや
”全て分かったつもりでいること”を言うそうです。

無明は苦しみを生む根源であり、無明であるがゆえ
煩悩が生まれ、思い悩み、苦しみが生じるとされるそうです。

対義語は”光明(こうみょう)”
仏語。仏・菩薩 (ぼさつ) の心身から発する光。
慈悲や智慧 (ちえ) を象徴する。

最近この言葉をよく考えることがあり
なるほどなと感じることの多い今日この頃です。

知らないことが恥ずかしいのではなく、
先回って知ったつもり、見もせず、体験もせずに
斜め上から物事を見るようなこと
昨今の世間の風潮ではないかと思うのです。

世界は知らないことばかり

むしろ知っていることなんてほんの僅かで
知ってると公言できるほどのものが身についているのか
それさえ危うい。
知ったつもりで浅いところで満足しているだけかもしれないことの方が
多いように感じます。

山に行くようになって

安易に自然っていいよね!

運動って気持ちいい!ではなく
恐ろしく沢山の恩恵に満たされ、
自然の力をいただいて心がひたひたになって
帰ってくることに
毎回びっくりしています。

何に行き詰まっていたのか
何が歩みを止めていたのか
自分を縛っていた呪縛の正体
何に恐れて
怯えていたのか

無駄に抱え込んでいた問題は
私自信が作り出した呪縛に他ならないということ

そしてどこに向かいたくて
どう在れたなら自分は心地よく生きれるのか

そんなことを知らず知らずに感じる瞬間が沢山あって
意識せずとも思考が整理されて
無駄な贅肉が削ぎ落とされていく

身が軽くなって
また足取り軽く力強く歩き出す

そんな感覚でしょうか。
最近とても心が軽いのです。

好きなものは好きで
好きなものや人で満たしてしまえば
世界はとても豊かで限りなく広がるもの

誰かといる時も
ひとりの時も
それぞれに豊かで楽しく過ごせる

おつきあいでのコミュニケーションもあまり取らなくなり
ひたすらにお客様の想いに向き合ったり
好きな人、魅力的な人と過ごすだけ

簡単なことがずっとできていなくて
モヤモヤしたり
勝手に塞ぎ込んだり

頭と心が暇人だったんだな、時間の使い方を
知らなかっただけなんだとそう思います。

私の時間にはリミッターがあって
それはいつ止まるか分からない

だからどうでもいいことや
ネガティブなことに時間を費やすことは
ただもったいないこと

命を燃やすというと大袈裟なようですが
まさに日々、一瞬さえも
命がけで生き抜きたいし
味わい尽くしたい

失敗もしていいし
反省も沢山すればいい
そこからまた学べるなら
何回も転けて傷も勲章にするくらいの
激しい転け方をすればいいやと思っています。

今更かっこよくも要領よくも賢くも生きれないなら
必死に泥臭くても
懸命に生きたい

大切な人たちが笑顔でいてくれるためになにができるのか
大切な人たちを守るためにはどうすべきか
どう行動すべきかを考えながら今日をまず大切に丁寧に。

心をシンプルに覗き込めば
見えてくることを忘れないように
風通し良くしていこうと思います。

物事は結局とてもシンプルなことがほとんです。

こんがらがるのはいつも人間の感情
そんな時は一旦がっつり立ち止まって
心の空気の入れ替えさえまめにすれば
きっと迷いも揺らぎも減るんじゃないかと思うのです。

私にしかできないこと
それを見つけました。

それは歩いてきた道の中で
沢山の方が私にくれたギフト

これから沢山返していきます。
私にできる全ての力で。

今日も一日お疲れ様でした。
明日もきっといい日
おやすみなさい

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