歩けども、歩けども
ふと、自分の居る場所について考えてみる
もしこの場所が予期せぬ事情でなくなったら
私は何をしているんだろう
ついでに、なくなった時寂しがってくれるのは
誰だろう?と。
たられば〜の話は意味がないけど
これは例えばの未来の話
根本的に打たれ強いタイプのため
きっと新たな道を探すべくもがくと思うのだけど
先のことは誰にもわからない
夢は沢山ある
最近の夢はより高くて難易度が高そうでも
本気になれば掴めるはずだと
根拠なく信じられる
若い時の夢は体力、気合いはあるけれど
今より絶対的な機動力、気力、覚悟が足りなかった
自分自身のことも信用ならなかった
努力はいつだってするけれど
それが実りある積み重ねとなるのか
やっている行動や時間に
ただ満足しているだけのものなのか
さっぱり判断がつかなかった
最近はこう進みたいという理想と
現実の差が近くなってきた
それはきっと少しづつ無意識ながら
歯を食いしばって突き進んできたことの
自信と自分への信頼感なんだろうと思う
頑張りはまだまだ足りないし
もっと改善したり反省しながら
最大の努力をすべきは当然で
それが楽しめるというか
苦にならない根性は
両親に感謝だなと常々感じている
私にはもともと何か熱く燃やしたい
燃焼したい熱い塊みたいなものが胸の奥に秘めてある
ずっとずっと。
いい歳だと言われる年代になっても
子供のように熱を発散する場所や
ご縁にアンテナを張り巡らせている
それってなんでなんだろう
その熱は時に周りとの摩擦を生むし
ポジティブにばかり作用しない
でも生きていく上で
きっと私という人間が
自分に何ができるかを模索する意味なんだろうと思う
自営業を始めて不思議な人種に
自然と出会う機会が増えた
ずっと様々な組織に属して
働かせてもらってきたので
自営業と会社員どちらがどうという
感覚も偏見もない
むしろどちらの感覚も立場も理解できる
ただし、会社員時代より格段に個性的な人と
深く関わる機会が増えたのは確か
ある何でも屋さん的なアウトドアショップを営む店主
この人がまたユニークな人種
熱量は火傷レベルに熱い
この方は一般的な大人のように
頭でこれは無理、
意味がないとか
決めつけてこない
それがとても安心できる
可能性は無限大で
全てはやるかやらないか
もしくは誰とやるか、どうやるか?
それが大切なだけだという。
今と未来しか見ていなくて
昨日は所詮過去で終わったことだと
一切拘らない、しがみつかない
自分にも思い当たる危なっかしさと情熱
そして偏り具合がなんだか不思議で
この人ががむしゃらに信じるべき道に
ダッシュしている姿は
なんだか自分に重なることがある
あそこまでの熱量には追いつかないけれど。
業種も環境も状況も全然違うけれど
同じ時代を生身で斬り込むその姿勢に
その熱がもっと上がればいいな
私も頑張らないとねと思える
大人になるってなんだろう
経験値が増えると洞察力も深くなり
思慮深くなる
私の周りにはそんなメンターと呼ばれるような
理解者がいてくれる。
道のない崖まで突っ走ってても気づかない私の
首根っこをひょいと肝心なとこで掴み上げてくれる存在
だから崖に落ちずにギリギリ今の場所に居られる
可能性を誰よりも見抜いて引っ張り上げて
信じてくれる
カメラマンの親友がその最たるもので
いつも自分で理解できない自分自身のことを
見ていてくれる
他にも出会えたことで
今の自分がマイペースに生きることを許して
支えてくれる人たち
こんな大人になりたかったなと思う憧れの存在
色んな存在がいて
支えられて
憧れて
面白がって
信頼して
尊敬して
日々の私が形成されていく
歩くということは
そんなことの日々の積み重ねで
けもの道を半信半疑で足を運び
踏みしめていくことなんだろうと思う
世の中は面白いことやひとで溢れている
だから歩くことはやめられない
もしこの場所でなくなっても
きっと私は面白おかしく歩けるんだろうな
夢は声に出せばきっと叶う
叶える力を持ちたいと願えばきっと。
さて、明日も歩こう
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