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ある時友人に言われたこと
「想いを文章にして伝えることは怖くない?
言葉って時に人を傷つけるし難しい」

私のブログもSNSも内面をそのままさらけ出して言葉を綴ります。
私を知っている方なら心の中スケルトンだなーというくらい
そのままに。

昔から文章や手紙をしたためることは習慣としてありました。

何かあれば必ず手紙を添える。
お客様に発送する時も基本的にその方をイメージした旅先で集めたポストカードを選んで
簡単なお手紙を書きます。

私自身が直筆の手紙というものが嬉しいことがきっかけでもありますが

その人にしか書けない文字って温かい。

店を始める前までは思いのままに書いて公開なんてしてもいなかったし
匿名だったりでは書いて綴ることもありました。

本音を書いて知り合いに見られたらどうしよう
浅い仲の人に読まれたくないなとか。

ある時ある人に、
「匿名で書いても意味がない、名前を出して発信してこそ
信憑性が増してより伝わるものだ」みたいなことを言われて
なるほどなと感じたことがあります。

確かに言葉って意図せず誰かには鋭利な刃物になることもあるし
薬となることもある
受けての器によっても180度形を変えてしまうものです。

けれどそれを考えていては素直な思いは綴れない

意図的に誰かを攻撃とか傷つけるものでなければ
私はその瞬間の自分の想いを思いのままに綴ろうと考えています。

剥き出しの本音も弱音も志も思考も
自分への備忘録であり同じように悩みもがきながらも前に進む誰かの
エールになれば嬉しいなと考えています。

いつからか、他人にとやかく言われること
攻撃されることも静かに受け止めて受け流せるように
なりました。

よくわからない媒体での評価も賛美もいらない

私が向き合いたいのは花に想いを託しにきてくださる
お客様ひとりひとりであり
自分の一服の清涼剤のように花を飾る方の日常
その方々に満足をしてもらえることに集中したいと
心から気づけたからです。

ネガティブな感情やそんなことに足を取られるより
時間がないからもっと自分にできることを研磨したい
勉強したい、もっとアンテナを高く立てて先へ先へと
進みたい。

極めて偏屈で頑固
ややこしい性格なのは自分が1番理解しているため
それをうまくコントロールしながらすすためにも
山の中で地図を読むように文章を残していきたい

違う方向に進んでいたら
勇気を持って一旦きた道を戻る
またそこから軌道修正する

昔は一旦戻ることや確認作業がとても苦手で
とにかく前に前に知らない世界にと考えていましたが
それだと取り返しつかないこともあることも知りました。

言葉が伝わらない時は
自分の表現の稚拙さもあるけれど
そもそも読み手との感性が逸れているのだと思ったりします。

みんなとうまくやってもいけないし
私は私、誰かは誰か
違いを否定したり、足をひっぱたりなんてナンセンスで
ただ合わないと言う事実だけ。

そんなシンプルなことで
日々を素直に生きることは
とても容易くなりました。

最近は休みの日も新しくオープンした店で女子とランチすることもないし
おめかしして買い物に出かけることもほぼなくなりました。

それを否定するとかではなく
今の私には必要としていないだけで
それぞれに楽しみ方も生き様も違うというだけ。

違うと攻撃してくる人もいるのですが
気にしなきゃいいのになと思っています。

心地よくなる人やものや世界で満たせば
自ずとモヤモヤもなくなるし
やるべきことがクリアに見えてきます。

負の感情は湧かなくなるし、
弱気が心に入ってきそうになったら
気づかないフリする。

発信するのは私の軸のブレをなくすため

反省して、褒めて
また日々を歩き出すために助走です。

文法も論理もめちゃくちゃで
知的な文章が書けたらいいなとも思いますが
等身大の自分の言葉しかかけないのもまた良きかなと
そう思います。

朝イチに文章を綴る

自分の中から出した言葉たちで心身が軽くなって
また余白が生まれる

そして余白のできた感受性の器はまた
出会う人々の魅力によってひたひたになって
私は泣きながら文章を紡ぎ出すのです。

神様はきっといて
導いてくれる
今の仕事に出会えたのは
天職なのだとしたら
沢山の出会い導いてくれた神様に
ひたすらに感謝なのであります。

さて、今日もこの指先で
どんな想いを編み出せるだろう

楽しみだな。
みなさまも心に栄養をたっぷりあげて
心躍る週末をお過ごしください。

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