BLOG

ブログ

朝からセミたちが元気な大合唱
夏が来たなあという感覚を
彼ら動植物やジリジリとした陽射しに
改めて気づかされます。

子供の頃、私の通っていた北九州の小学校には
大きな文字で

「一日一善」

そう書いてありました。

何かと先生たちにも「一日一善よ!」
と言われて日々提出するダイアリーにも

今日はどんな一善をしましたか?

と内容を書かさせれて
習慣にしようしようと
仕向けられていました。

遠足に行けば
「来た時より美しく!」

自分のものでないゴミも
1人が2つ拾えばゴミは無くなる
心がけが大切だと
口を酸っぱくしてしつけられました。

子供の頃当たり前なんだよ・・と
しつこく言い聞かせられたことは
その時の私には押しつけにしか
感じられず、
なぜそうするべきかまで
教えてくれたらもっとすんなりと
納得できたのにと思います。

日本の教育なのか国民性なのか、

これが普通、
これが常識
一般的には・・・

いまだに頭を傾げる事が多く
あります。

そのさきの
「なぜならこういう考えが根付いているから」
そこにこそ大切な果実が実っているのでは?と
今でも感じます。

幼い頃から言い聞かせられた事
それは意外なほど大人になっても
刷り込みとなって刻まれるもの

先生に何度もしつこく言われたそれらは
以外に身についてしまうものです。

当時はクエスチョンの連続・・

なんで人のゴミまで私が持って帰るの?
なんで1日1回以上良い行いをしなければいけないの?

なんでなんで?のオンパレード

今ではその時の意味がよくわかります。

見えない誰かへの
ほんの少しの思いやり
一歩先を見て行動する事

それが次なる誰かの満足や幸せに繋がる

汚い公園にきたら
次に来た人もゴミを捨てることに
躊躇しなくなるかもしれない

きれいに整って清々しく過ごせたなら
きっと次の人のために綺麗に立ち去ろうと
思う

トイレに入った時
張り紙には2種類あります。

「使い方が汚い方がいます!
次の人のために綺麗に使いましょう!」

よりも、

「いつも綺麗に使っていただき
ありがとうございます!
また使ってください」

そう肯定的に書いてある方が
ハッとして綺麗に自分も使おうと想像する

疑ってかかられるより
信じてますよ!と明るく言われた方が
ちゃんとしなきゃと思う人間の単純さ。

何事も相手は鏡です。

要は日常の些細なことでも
想像力を持って過ごせば
平和に回ることって沢山あるのだということ

一日一善もそう

そして

”一日一笑”

必ず1日一回は笑うこと
これは個人的に心がけていること。

いつもしかめっ面の人より
ニコニコ笑顔の人に
人は惹かれます。

それでも日々は緩やかではなくて
いろんなことも皆あります。

それでも一回でも良いから
笑う癖をつける

なんとかなるさと大らかにいれば
不思議に気持ちが楽になるものです。

考えすぎても
落ち込んでも
それも大切な1日

それを超えたら
思い切り笑う

誰かのために何かを・・と思う前に
まず自分自身を心豊かに満たしてあげれば
周りにも波及するものです。

笑顔は人をホッとさせます。

とりあえず今日も
きっとなんとかなります。

笑っていてください。

心穏やかな週末をお過ごしください。

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。