花とカタルシス
”カタルシス”
カタルシス は、哲学および心理学において精神の「浄化」を意味する。
アリストテレスが著書『詩学』中の悲劇論に、
「悲劇が観客の心に怖れと憐れみの感情を呼び起こすことで精神を浄化する効果」
として書き著して以降使われるようになったが、
アリストテレス自身は演劇学用語として使った。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たまにわけもなく落ち込むことがある
家族のこと
仕事のこと
そのほかにも
生きていれば色々あるし
このめまぐるしい世界の中で
誰でも抱えているものがそれぞれにある
店をはじめてただ前へ前へと
手探りながらこだわりとか
自分の譲れないものは頑固なまでにそのままで
ひたすら走ってきた様な気がする
その中で見えてきたことも少しあって
私は一対一でお客様と向き合うことが
1番好きだと言うこと
花をつくるとき
その方の顔を思い浮かべながら
指があれだこれだと動き出す
それを側から見ている人は皆
「楽しそうにつくるね」と言う
そう、仕事のくせに
”楽しい”が根底にあるのが
私の植物との向き合い方
なんだか仕事は楽しいだけじゃいけない様な
そんな気がしてしまうことがある
こんな風で直感のままに店をやっていていいのかな?
ふと在りのまますぎる店の運営に
罪悪感みたいなものを覚えることがある
ふざけているわけではなく
真剣だけど楽しいっていいのかな?と。
それくらい楽しいし
生きがいを見つけたのだろうと思う
勿論経営とか楽なことばかりではないけれど
私はここで誰かの想いの中で
花を形取っていくことで
私らしく生かされている様に感じる
そんな中でも終始てんてこ舞いで
いっぱいいっぱいの私を見て
人に手伝ってもらえばいいのにとか
規模を大きくしたいなら
もっと多くの人の思いに応えるには
できる可能性を拡げたいなら
色々見直すべきだと助言してくれる人もいる
人様の手助けは勿論必要だし
それがあるからなんとかやってこれた
結局のとこ、
このままマイペースにやりたい
私のわがままでしかないかもしれないけど
自分の身の丈にあったくらいの店でいい
私は少し風変わりだし
職人気質に気難しかったり
面倒な性格ゆえ
人様に迷惑をかけるに違いない
製作にあたるには自分のペースで集中したいので
この程度の規模が性に合うとわかった
もしかしたらいつかこの小さな器が大きく成長すれば
誰かを迎え入れる日も
来るのかもしれないし
今段階ではこれがベストだと言う話
いつまでマイペースにできるかなんて
自身にもわからないし
お客様にきて頂けることも
日々本当にありがたくて
感謝しか思い浮かばない
好きな花や植物に囲まれて
誰かのほんのちょっとのほっとする時間や
仕事帰りの寄り道の駄菓子屋みたいな存在でいい
それは至福のとき
目を閉じて
心の目でその人に向けて花を重ねる
そんな小さな小さな規模の店で
好きにやりたい
部屋に一輪の花を飾る
一鉢の植物と暮らす
それがもたらす効果や
自然治癒力を高める様な感覚を
もっと広めたい
人は素直な気持ちをただ吐露すると
デトックスの様な心理状態に陥るらしい
いわゆるカタルシス
私のそれは花といることで
この掌で触れることで
浄化されて日々生まれゆく様な
そんな感覚がする
花ってなんなんだろう
植物のエネルギーってどこから
生まれてくるんだろう
まだまだ未知なるその魅力
探究して見たい
許される限りで構わないから
ここで根を張りながら。
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